気分変調症と過敏性腸症候群などを患う精神疾患者の日常ブログ
 

 

 
中学生の頃、通学路で白い彼岸花を見つけた。
在ることは知っていたけれど、いつも見るのは赤ばかりだったから物珍しさがあった。
その白い彼岸花をどうこうしたという事はないけれど、今でもよく覚えている。

違う秋、赤い彼岸花が道端に咲き始める頃。
何気なしにまた今年も彼岸花が咲いていると思いながら田舎道を歩む。
萌葱の草と赤い花は、相対する色であるから喧嘩しそうなものだ。
だがそんな違和感を微塵も感じさせないのは自然の調和なのだろうか。
作られたアスファルトでさえ、まるで地球が出来た時からそうでありましたというような顔立ちでいる。
そこに存在さえしてしまえば、馴染んでいく。

目的地に付けば、それがあった。青銅で出来たような古い井戸。
それもまた例外なく、そこに在る。井戸の水を汲む動作が遊具みたいで好きだった。
そこへ来たら必ず水を汲んだ。小さい子供には重かったが、ただ一つの楽しいものだった。

本当は水さえ手に入れば何でも良かった。
水を得る方法に楽しい方を選んだのは小さい頃までで、今だったら蛇口をひねるだろう。
下手したら、今の時代ペットボトルの水を買ってくるだけで済むのかもしれない。
正しい理由はないけれど、「それはちょっと」と思うのは古い感覚なのか。
汲んだ水を大きな器から、小さな器へ。そして頭上からかけないように、肩から水をかける。
最後にその人の器へ流し込む。
それが当たり前だと思っていた。今はもう違う時代なのだそう。

じゃあ、どうなるのかとか、どうすればとか、考えすぎるのはよくない癖だ。
そういう時は疲れていると割りきって、暖かいお茶でも飲もうかな。 
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