気分変調症と過敏性腸症候群などを患う精神疾患者の日常ブログ
 

 

 
綺麗だったりきたなかったり。
心が汚いという表現ってよくすると思うけど、
そういうとき
心の性質が汚いんじゃなくて
形が汚いんだと思う。

落ち着いてないんだと思う。
冷静じゃないんだと思う。
だからいびつな形になって変なことを考える。

それはちっとも正しくないのに。
正しさのものさしさえどこかへきえる。


わけがわからない。眠いです。
疲れました。
体育祭の準備を手伝ってました。
はい。
世の中には沢山のやるべきことがありますね。
やるべきことをするのは当たり前のこと。 
スポンサーサイト



 

 

 

 
お風呂だとか睡眠だとか。
どうしてああにも大げさに気分を変えることが出来るのでしょう。

何かに対して悩み事などを持っていたとき
それは関心があるから悩むのだと思いますが
お風呂だとか睡眠だとか
一気に全てから無関心へと変換してくれます。

「気分転換」などという言葉がありますが、
あれは、さわやかな言葉ではなく無関心になるという事なのですね。
他の事に集中し、気を紛らわし、無関心へ持っていく。

人と衝突すると成長出来ると、私は思います。
変なフィルターなんて要らないから、
冷静な目でそのままの状態を目にしたい。
変な装飾たちは面白くもない。

けれど展示物のように良く見せることが仕事なら仕方ないよね。
仕方ないって言葉大嫌いだけど。
ずっと展示ケースの内側にいるといいんだ。 

 

 

 

 
なんとなく、そういう気分。
そういう日ってなんだかよくあるよね。
というか、そういう曖昧な感じで毎日を過ごしている。

何事も上手に出来たらそれが一番いいんだろうなって思う。
すいすいなんでもこなす人は良くいる。
隣の芝生は青くみえるというやつで、そういうふうに見えるだけなのかもしれない。

でも他人になってみたいって思ったことは誰にでもあると思う。
私も誰かにそう思われているのだろうか、というのは
少しばかり自意識過剰な考えである。

でももしそうだったのなら変わっても良い。
過小評価でも過剰評価でもなく移り変わりが速いと思う。

短所であり長所。たまには固定的な概念で物を動かしてみたい。
なにが「みたい」だ。
やってみたいというやつは誰でもそうで、
やってみたいなんて言葉を発している時点でやる気がないのだ。
もし本当にそう思っているのならもう既に始めているはずだからである。

まあそこは重要ではないのだが。
では何が重要なのか。やはり重要なことなど何もない。

私が今何をしたいとか何をしたくないとかもわからない。
なんとなくただ逃げたい心境にある。
スケッチブックを持って、そそくさと逃走したい気分にある。

こんなことをいったって緒戦「やってみたい」の域から脱しないのだから
私は明日から普通に学校に行き普通に過ごすと思う。
なんてつまらない奴なんだ。しかしそれを問題としていない。

まっすぐ撮ったと思った写真が傾いていた。
つまりはそういうことなのだ。
常に常に、私は間違っているのだろう。 

 

 

 

 
テンションがあがりません。

“テンション”という言葉は、とても便利です。
自分の調子というものをいとも簡単に説明します。
テンションが低いといえばなんとなく気分が乗らない。
その乗らない理由は「テンションが低い」になってしまう。
違うのにね。


今日「認識のズレ」について考えた。
最初は「今自らが世界に対してしている認識のズレが生じた時どれくらいの割合のズレで人は発狂するのか」
これについて気になったのだ。
そしてこの認識のズレを数値化できないかと提案したら、
ツイッターで「最小値と最大値を仮定すれば可能」といわれた。

なので認識のズレの最大は「自分は本当はいなかった」
認識のズレ最小は「砂粒を一粒掴んだつもりが二粒掴んでいた」にした。

認識のズレは色々な場所で発生すると思う。
「友達と思っていたあいつが友達じゃなかった」
「青色だと思っていた筆箱のロゴが赤色だった」
様々です。
もし友達じゃなかったパターンは苦しんでも、
ロゴマークが赤色だったくらいじゃ苦しみませんよね。

そういう、ショックを受ける境目はどこにあるのだろう。
やはり、信頼、でしょうか。

信頼も一方的なものだと悲惨ですね。
今自身に存在している不満は全て自身の周りに対する勝手な期待から成り立っている。

では信頼を築く為には何が必要なのか?
そういう人間になるのが一番ですがそれが無理ならばそう思わせることだ。



そういえば、今日一枚絵を更新しました。
アナログです。
過去の残像。全ての場所には残像が存在する。
それを自分は観測できる位置にしか存在しない。
それを描いたわけではない。次はそれを描きたい。
駄目なんだこれでは。ああ。いやいいんだこれでも。
絵は言葉で言葉は絵なのだ。
いいや違う。私にとって言葉も絵も一緒だ。
言葉も絵も自らの思考の為に存在する。
言葉も絵も思考も全て私でありどれを欠いても私ではない。
だが逆にどれをとっても私である。
だからなんだというのだ。
なんというか逆戻りだ。成長が出来ていない。
私は絵がすきなのか。何もかもわからなくなってきた。

でもきっと寝て起きたら。 

 

 

 

 
体育祭の準備の手伝いに行ってきました。

私の学校では毎年体育祭に4mの大きさのマスコットを製作します。
今年は目玉オヤジと鬼太郎です。
ふむ。中々に大変。
私は所詮与えられた事をこなすだけの立場なんですけどね。

帰宅途中に見たテニスコートが、光に照らされていました。
なんだか無理やりそこが見えるようにしてあるみたいに。
よくそういう場所ってありますよね。
そういう場所を見るとなんだかまぶたをこすって起きている、
そんな感覚に陥ります。

空がとても綺麗でした。下のほうは、赤みがかった黄色。
オレンジ色というには、なんだか違う…。
でもそれが一部だけだったんです。
まるでそこだけ夜に取り残された夕方のようだった。

どうして日が沈む方向を背にして帰宅せねばならぬのでしょう。
日が沈む方向へ私は帰宅したい。そういつも思う。
高いところに上って空を撮りたい。マンションに住みたい。
少しでも空に近づきたい。よくそう思う。 

 

 

 

 
昨日は就職試験でした。
疲れて、早く寝ました。

10時から17時という理不尽な長丁場。
最初の10分は試験説明で、
次に一般常識、専門教科、適性検査、作文を50分ずつ。
最後に15分間の面接。

あんなに手厚かった面接はあっけなく終わり。

友達と同じところを受けたから、先に終わった私は公園で待っていた。
隣のベンチにはおじさんが座っていた。パンのくずをハトたちに投げていた。
その隣で嗚咽を漏らした。
「ああああ~…」多分聞かれていたと思う。
そのおじさんでさえ企業の手先ではないかと考えたけれど多分違うと思う。 

 

 

 

 
明日は就職試験です。

今更何をしたってどうしようもない。
うまく喋れるかなと思ったけど元から上手くない。

うう
今日は苛々したり動揺に動揺を重ねた。
ついに明日。ついに。落ち着かない。

けれど眠らなければ。
受かりたい。

初めての就活と始めての就職試験。
必ずしも私にとって力になるはず。
がんばれ がんばろう

友人たちとみんなで受かって騒ぎたい。
がんばって。がんばるぞ。 

 

 

 

 
感情と意見は一緒くたになりがちである。

しかし感情と意見は違う。
意見に感情は宿らない。

意見を言ったときにその意見=その人の思想であるとなるのは危険だ。


それは悪い事なのか。
いいやそこが悪い点ではないのはわかっている。

今日は中々に駄目だ。 

 

 

 

 
何か嫌なことがあったとして
何かのせいにして全部済ませる事は、
その物事に対して
考えたくないときの逃げの手段であり

要するに、
考えたくないのだ。

もし今その状況にいるとするのなら
その物事から逃げている。
それは自分自身の苦手な分野かもしれないし、何かはわからない。

冷静に物事を見られないのならおっぱじめるべきではないのに
それを何回もしてきた。
考えたくもない。

もう考えたくない。
何も考えたくない。
何もしたくない。

今日は15日明日は16日明日は就職試験。
これもまた考えたくない。

だけれど今絶望しているかといわれたらそうではない。
そういう余裕があるのかときかれればYesとは言いがたいが
ああ気持ち悪い。
自分が。

だから改善するかといわれればそうではないが気持ち悪い。
なんて有機的なんだ。
もういやだ。

実に考えたくない。 

 

 

 

 
今色々と話を組み立ててみた。
ふむ。
いくつもいくつも積み木を積んで組み立てた図こそ
そのもの自体の本質といえよう。
しかしこれがわかったといっても、
何も面白いことはない。

例えば物を買うときに、必要性というものを考えてから
購入するだろう。

例えばカテゴリーがあって
その中にフォルダーがある。
人それぞれのカテゴリー名とフォルダー名。
フォルダーの量も違う。
何を重要視するかは人それぞれである。

私は究極の気分屋である。
移り変わりが本当に激しい。
意見も思っている事も全部。
固定されたものなどひとつもない。
戻ろう。 

 

 

 

 
時給五万六千円で紙を切ってそれを組み立てる仕事
が、あるらしい。いや実在するかはしらない。

人は何かをしたときに見返りを求めるものです。
例えば仕事ならば、頑張ったのだからお金がほしい、とか。
もしも、もらえるものが多すぎれば、それはきっと破綻します。
自分がその重さに耐えられなくなりそう。

そしてその逆の場合。
もらったものが思ったものより少ないとき。
落胆しますね。
それは大体期待のしすぎという事。

んーだからなんなんだろう?
 

 

 

 

 
私は「これでいいや」と思っていることがある。

それが正しいことなのか、わからない。
特に考えをめぐらせていなかった事柄である。

それゆえに私は私の正確さが図れない。
もともとそういうものではあるのだが
それを正確であるといえる思い込みが足りない。

だがしかし生まれてこの方ずっとそれで生きてきたのだ。
だからそれでいいとはならない。
変えてみるのも手だろう。そうは思うのだが。おわかりだろう。


それにしてもこのごろ寒い。
もう秋はすぐそこ、というか、もう秋の中にいるのかもしれない。
これから就職試験が待ち受けている。
もう後には引けない。季節と同じだ。あとには引けない。
あとには引けないけれど、また廻ってくる。
だからここでサボったら絶対にまた廻ってくる。
だから今がんばろうって思う。

私は何故生きているのだろう?
最近の朝は体調が凄く悪い。季節の変わり目という事であろう。
気持ち悪い吐き気とさすような腹痛が朝と共にやってくる。
朝が楽しいわけが無い。朝なんて、私は大嫌いだ。

魅力的というのはどういうことだろうか?
魅力とは辞書では「人の心をひきつけて夢中にさせる力。」だそうだ。
魅力を感じるメカニズム、みたいな研究は無いのだろうか?
探せばきっとあるかな。

些細なことに気付けるというのは素晴らしいことだと思う。
雑草のひとつにも色彩は宿り静かに息をしてそこに確かに生きている。
私はそんなことに気付ける人が好き。
そして私も多くのことに目をやりたい。日ごろそう思っている。 

 

 

 

 
人の為に動けることって素晴らしい。
自分が何かしてほしいとか、そういうのはない。
いや、もし何かして頂いたなら感謝しようと思う。
けれどそういうことじゃなくて
ただただ、純粋に凄いと思う。

私と仲良くしてくれている人はみんな、人の為に動けるひとたちだ。
例外はないと思う。心から尊敬している。

お恥ずかしながら私はそういう質ではない。
おまけに、最低中の最低で人から頂いたものをなくしまでする。
自分のものもなくす。

大切なはずなのに嬉しいはずなのになくす。
なので私は自分から何かあげたりしたものをなくされても
特に何も感じない。よくない。
自分の事ではなく相手の気持ちを踏みにじっている事が駄目だ。

あー、駄目だ駄目だ。これは駄目だ。
第一に直すべきところだ。 

 

 

 

 
ふむ。書くことがないな。
毎日書こうとか思っていたけど無理かもしれない。

いいや毎日が毎日同じ日という感覚は
あんまりないけれど
よく思い出せば毎日の事を覚えていないなあと。

日記を読み返せばわかるけど0から思い出せって言われると
やっぱり難しい。

明日学校が嫌です。
いきたくないーっ! 

 

 

 

 
今日はひどい時間に寝てひどい時間におきました。
こうして何もなければどんどんと生活習慣は崩れていくのに
月曜日にはまるでリセットボタンのように
正しい生活に戻されます。

例えば人生にマニュアルがあったらどうでしょう?
こう生きれば、こうなって、こうなります。
こうしたければ、こうして、こうしなさい。
そんなマニュアルがあったら、どうしましょう。

私だったら買ってその通りにやってしまうかもしれません。
弱い人間ですから。
でも人生って一回しかないんですよ。少ないなあ。
せめて、ストックさせておいてほしいですね。
そして巻き戻しだってさせてほしい。

例えば成功することとはどういうことなのでしょう。
シンプルに答えるとするなら、お金持ちとか?やりたいことが出来るとか。
そうなったらいい。
でも、それじゃ私は意味がないように思えるのです。

私は絵が好きです。何も経験せず描いた絵はきっとつまらないと思います。
こうかけばこうみえてこううまくみえる。
これも絵のマニュアルがあったとしたら私はまた使うかもしれません。

でもそれじゃあ私じゃなくてもいいんです。
人生だってなんだって買って誰でもできるなら誰でもいい。
その誰でもいい中に入ってもまあ良いんですけれど。

どのような人生が送りたいかなんて考える時期ではないのかも。
それでもふと考えてしまう。
私はどのように生きて死んでいくのか。何を感じていくのか。
楽しみで仕方がない。

私は二年目に絶望する傾向にあります。
いわゆるプラシーボ効果かもしれませんね。
気にしていないのですが思い返せば二年目。
だから二年目さえ乗り越えれば…。きっと…。

見えないことが怖いです。
出来れば体験したくない。
ここからこうなりますよってマニュアルがあったらいいのに。
そうしたら後悔も、何も残らず死んでいけるのに。

もしかしたらマニュアルがないだけでストーリーは全部決まっていたりして。
長い目で見たら決まっているように見えるだけか。
とか、なんとか。 

 

 

 

 
流行らしい「ザ・インタビューズ」を始めました。
面白いですね。
何をするのかわかりやすいサイトですし。

私のページはこちらです。
良かったら質問してください。アバウトからでもいけます。
http://theinterviews.jp/clily 

 

 

 

 
私は人より駄目だから人より頑張らなきゃいけない。
なのに私は今頑張れていない。
ああ。

こんなところでつまづいている事実が恥ずかしい。

色んなことについて
色々考えていたけど、全部どうでもよくなった。
忘れよう。

もういいや。 

 

 

 

 
私は最低な人間です。

とはよく言うもので、私も今からいおうと思いましたが
最低というほど私はアイデンティティのある人間ではない。
よって私はその辺の人間です。

最近自分に対してポジティブな発言をするようになりました。
私って本当に天才とか私って本当にかっこよいとか。
マイナスのことを言うとだめらしいのでプラスのことを。
ただのうざい奴だ。
でもこういうことを言い始めてから、
感覚がまるでチルダになりました。

そういうわけで私は最高の人間ではありますが
少々自分勝手な部分があります。
例えばそういう部分が酷いわけで、
どうしてこんな人間に喋ってくれたり良くしてもらえるのか
不思議でたまらない。

でもこれを私の視点から考えても面白くない。
何故関わってもらえるのかという私からは見えない相手の視点で
考えるのではなく何故私がその人たちと関わるのかを考えよう。

特にメリットデメリットを考えたことはない。
そういえばチラリとのぞいたツイッターで
「可愛くて綺麗な子は沢山いるけれど面白い子はそういない」
というようなツイートがあった。
ほう、とおもって少し考えてみた。
こういう文章を見てまず思うのは人間は常にアイデンティティを求めていて
自己の確立を図ろうとしているという意識に気付く。

まあそれはどうでもよいのだがなるほど
例えば、その可愛い子とやらはつまらないと過程するなら
自分が興味を持った面白い子の脳みそと
そのつまらない脳みそをコピー機でコピーしたとする。
どちらの文面を見るかといったら多分面白い子だと思う。

だったらつまりそういうことで面白いの基準は人それぞれだが
私が人としゃべるのはその人への興味や関心からだ。
当たり前のことではあるが。
それに対して選択しているのかどうかといえば
人間くさいところを見せてしまえば答えはYesなのかもしれない。 

 

 

*Template By-MoMo.ka* Copyright © 2011 こころぐ, all rights reserved.