気分変調症と過敏性腸症候群などを患う精神疾患者の日常ブログ
 

 

 
本を読めとは簡単にいいますが
私は本を読むと気持ち悪くなります。

息が苦しくなるというか頭がぼーっとするというか
なんかもうとにかく気持ち悪いです。

先ほど借りた本を読みましたが
今そんな感じ。

本当に読めない。気持ち悪くなる。
小説だけではなく、漫画も駄目です。
小説は一冊一気に読んだことはないと思います。
漫画はありますが一冊読むと駄目ですね。
読んでいると気持ち悪くなってしまう。

呼吸が苦しいです。


何で駄目なんだろう…。

あー
昔からなんですけどね。
合わないんでしょうね。 
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明日、面接練習です。

行きたくない!
任意参加ですが、私は戦いに行くぞ…。

とか言って、寝坊したらどうしよう?

こうやっていやだいやだといっているうちが華ですよね。
青春! 高校生!

みたいな。


明日は写真もとりがてら学校に行こうと思います。
ふふ。楽しみ。
卒業製作に使う写真も撮ろうかな?

うん。カメラ買ってから楽しみが増えました。
ちょっと立ち止まるようになれました。
全然上手だったりは、しないんですけどね。
ちゃんとお勉強したいです。 

 

 

 

 
「あなたのために」は「自分のために」


卒業制作、私はちょっとした映像作品に挑戦しようと思っています。
三年間の集大成なのに、「挑戦」は駄目かな?と思いつつ。

そして先程卒業制作の絵コンテが終わった。
有意義な一日だった。
何かを生み出す為に頑張ろう。

所詮素人作品です。
作品と言うにも恥ずかしいけれど、
それでも私は作ろう。

作る為に生まれたんだ。
私は私を作る為に絵を描こう。
私は私をする為に絵を描こう。 

 

 

 

 
世界はとあるもので構成されている。
そのとあるものをテーマに絵を描いています。
テーマっていうのはなんだか違和感があるけれど。

でもそのとあるものは私はなんでもできると思ってますし、
大体のことはそれで片付けられてしまのですが
私はその傾向が強く、
そのベクトルが逆向きになったときにひどく苦労をします。

そのものは簡単なものではあるが単純ではなく
それを構成するための重なりは
中々解けないものであると私は思います。

そんなことを考えていたら全てが嘘なのではないか?と思うのですが
その嘘というものも実証がしづらく、
現実というものが危ういものになっていく。

それくらい私たちの存在は曖昧で不安定である。
やらなきゃいけないことは簡単すぎるくらいなのかもしれないと
最近思った限りです。 

 

 

 

 
私はなけなしの方向音痴です。
人にはどうしても苦手なことが、ひとつやふたつあると思います。

私にはたくさんありますがその中からひとつ。
道を覚えることが、とても苦手です。

コンプレックスといってもいい、一回じゃ覚えられるわけがない
なんとなくでいけるなんてありえない、神業、ってくらいに道が駄目。

その道を行ってる間意識が飛んでいるんですよね。
そもそも動きながら何かを覚えるって無理です。

はあ。


今卒業制作で悩んでいます。
ちょっとした動画がやりたかったのですが
どうにも、こうにも、
うーんもうちょっとサポートがほしい。
甘えたことは言ってられないですね。
当たり前だな。
こうこうこうしたくてこうこうこうこう
うがああああああああああ 

 

 

 

 
皆自分が可愛いものだと思っていました。
少なくとも脊椎反射は、自己防衛です。

人間は人の為に涙を流せないそうです。
全部自分の為に泣いているんだって。

それを聞いて今まで嘘つかれてた気分になりました。

でもそんな科学的事実よりも、
悲しいという感情でひたすら泣く。
何故悲しいとかどう悲しいとか全部ほうり出して泣く。 

 

 

 

 
絵をアップしました。
デジタルの「話ってなに?」というタイトルの絵です。

元はといえば青春っぽい絵を描こうぜなんて友人と言って
青春から色々なアイデアを出し
最終的に「放課後の呼び出し(甘い)」になったのです。

(甘い)というのは私のメモ書きです。
呼び出しと言われたら、先生からの呼び出しかと思ったのですが
そっちではないということで。
書かなきゃわからんのかと言われました。わかんないよ!

描きたい絵というわけではありませんが、
中々こういう青春(?)な絵も面白かったです。
まさに絵みたいな絵ですね。

いつも描いた絵に感想なんてあまりないけれど
私の中では珍しかったので記す場所があるなら記しておこうと思い。

またこういう青春の絵描きたいなと友人と喋っております。
そのときはよろしくお願いします。



最語に
裏庭なんてねーよ 

 

 

 

 
何がしたいのかわからなくなっちゃった。

何があれば満足で
何がなくて不満なのか。

わからなくなってしまった。

私が描きたいものもわかった。
でも、その描きたいものが今、ない。

私がそういう絵を描いていない時は何もない時だ。
私は今安定しているはずなのに不安定になっている。

何もないのが一番だとよく言うが
私にとって何もない事は絶望で
何かあったらあったで絶望なのだ。

しねって事かこれは
私だって好きでこんな性格なのではない。

ああ絶望の4時半。
駄目だ。

苦しい。 

 

 

 

 
今日はカーテンが柔らかくなびく日ですね。
ふわりと空気に従って、カーテンが波打ち際のように波打っている。
戻っては満ち、戻っては満ち、
そんな永遠みたいな繰り返しも
窓からもれる日光も全部時間がたてばなかったことになる。

今この瞬間は二度と訪れない。
だから日々を大切にしなさいと思うけれど
日々の忙しさの中ではそんな小さな一瞬に気付けない。

此処もいずれは廃墟と化して朽ち果てる。
朽ち果てるのは建物じゃなくてそこに居た存在たちが朽ち果てる。

蝉の一生は短いというけれど
蝉の声をきいて「あっ」って気づくけれど
私たちも蝉の声と同然である。
声を出さなければ生きていたことさえ気付かれない。
だから描こう。

さあ描こう。
何描こう?
手が動くままに今を描こう。 

 

 

 

 
さっきまでハイテンションで絵を描いていたのに
急遽テンションが下がっている。

頭おかしいんじゃないか?
今日に限ったことではないが
いきなりテンションがあがったり落ちたり
落ち着きがない。

冷静になって、
あああああああああああああああああああああ

うあああああああああああああああああああああ
もうだめだああああああああああああああああ


駄目だ
駄目だ
駄目だ
駄目だ

うああああああああああああああうわあああああああああああああ

ぐるしい



ああアア
はい
おはよう
うさこです

うん
たまにはこんな日もいいんじゃないかと

思うわけですが
もう
なんかなあ


ぐぎぎぎいぎいぎいぎいぎいぎい 

 

 

 

 
友人曰く私のブログの印象は
「はさみでばつばつに切った感じ」

これは面白いと思い
それをブログの説明に書こうと思って
はさみがカタカナかひらがなかを聞いたら
「やっぱりカタカナ!ひらがなだと暖かい感じがする」
と、言われました。

私のブログは冷たくはさみでばつばつと切る感じらしい。
きっと私の性格が出ているのだろうけど、
私はそんな冷たい性格をした覚えはない。
暖かい性格をした覚えもないが。

いたって普通である。
そしてその友人は少し変わり者だと思う。
ばつばつな表現をしてくれて有難う。
有難く使わせてもらうことにする。

変わり者といえば一つ前の記事でも書いたけれど
私の友人たちは皆変わり者だ。
だから面白い。

例えば心電図で表現するならもうその触れ幅はばらばら、
そして起伏が激しいのが奴らである。
と、私は勝手に思っているが奴らからしてみれば
自分なんてベトネベートとかいう
本当にべとべとしたふざけた薬品程度にしか思っていないだろう。
なのでたまにそれとは裏腹な人物と話すとほっこりと新鮮な感覚に陥る。
それとはまたまた違った人物と話すとこれまた面白い。

面白いや新しいをもらってばかりだと常々思う。

私は歩くぞ。 

 

 

 

 
私の友達は私に似ず、とてもひねくれた奴ばかりです。
類は友を呼ぶといいますがあれは嘘ですね。

学校の友人たちに時々、
「ブログ見てるよ」なんていわれることがあって
とても恥ずかしいです。
もう全く見ていないものだと思っていたから、
サイトの存在が覚えられていたことに驚きだ。
あいつこんな事考えているのだと笑われているのかな。
と思っていることを笑われる。

ネットの色々を少しだけ控えてから、
学校の友人たちに「久しぶり」といわれるようになりました。
少し寂しいです。

そして「何してるの?」といわれます。
そうだなあ。何しているんでしょうか。
此処の日記を書くようになりました。
日記を付けるのは続いた験しがありません。


近況。
最近はいやなこともなく絵にしたいこともなく
心動かされることもなくぼーっと学校へ行く日が来るのを
バス停で手ぶらでずっと座っている。

もうすぐ、バスが来ます。
バスがきたら少しだけ現実と向き合って、
また家に帰れたら少しだけ終わりが近づいている事に焦って。
大人になって何もなかったなって なってもいい
そんな気分とそんな今日、そして4時。 

 

 

 

 


久々にオリキャラ生成。
色決めるのに難しかった。
人を馬鹿笑いすぎて涙が出ている子。

友人と猫かぶりの話をしていて思いついた。
本当はイラスト一枚描こうと思ってたけど
キャラ作っちゃった。くつかんがえてねえ。
黒の短めのブーツ?わからんみたいなやつでいいや。
長靴みたいな。まてブーツと長靴は全然違う。

ピエロとクラウンだったらクラウンのほうが上なんだと。
で、涙マークがあるほうがピエロなんだと。
初めて知ったー。 

 

 

 

 
世の中お盆ですね。
お盆だと周りの人たちが親戚と会ったり、
お泊りだとか、色々していますね。

私の家はそういったお盆イベントは皆無です。
親戚との交流がないというか親戚が居ないというか。
なのでお盆という事を意識しないまま、
いつもと変わらずなんとなく過ごしていました。

なので恥ずかしながらお盆について
あまり関心を持ちませんでした。
なので今からでもちゃんと調べてみる。


正式名称は盂蘭盆会(うらぼんえ)
お盆とは、霊を祀る際の供物を置く盆から来ているのですね。

キュウリの馬は速く迎えられるように、
ナスの牛はゆっくり帰れるように、だそうです。

お盆の意義は、先祖様たちが苦なく成仏してくれるようにと行うものだそうです。

その由来は釈迦の弟子さんのご相談だとか。
ざっくり言うと地獄で逆さ吊りにされ苦しんでいる母を知り
お弟子さがどうしたら救えるかと聞いたところ、
「夏の修行が終わった7月15日に僧侶を向かえ多くの供物を捧げなさい」
と仰ったそうな。そしてその通りにすると
お弟子さんの母は安からに死ねたとさ。おしまい。

色々あるんだなあ。
軽くたたけば出てくることですが
案外知らなかったりというもありますよね。

そういえば、送り火でお墓に帰る様にとあったけれど
お墓には、亡くなった方は居ないといいますね。
お墓は、此岸にいる人間たちがその人の死を認める為にあるという話。
なのでお墓とは、死者の為ではなく私たちのためにあるものなのです。 

 

 

 

 
水中ノスタルジック

久々にデジタルで背景のある絵というものを描いています。
画像は描きかけです。10日から描いています。
知り合いにテーマをくれと言ったら
水中の廃墟みたいな感じのを頂いたので描いてみていますが
全然廃墟っぽくない。
まあいいや廃墟じゃなくても。

そして好きだなって思える曲が二曲見つかりました。
嬉しい。

好きなものだけで構成されたところに住みたい。
重力なんて概念があるから
人はまあ安定しているのだけれど少しだけ浮きたいって思うときがある。
宇宙? 宇宙は酸素がないから駄目

もっと快適に生きたい。
あー空間に浮きたい。
言ってることは全部浮いてるけど。
地に足がついてない。
私の論理的な言葉たちは全部偽者だ。きっと。

抽象的なものを無理やりルービックキューブにする。
そんなの何が楽しいんだ。

無理やり筋を通す。
ばらついた空気の球体に長い釘を刺して論理を立てる。
それは偽者だろう。
納得いくものが真実というわけではない。

どうでも良い。
やりたいことはあっても
自身はない。
感じ方はあっても
考え方はない。

楽しそうな人が嫌い
苦しそうな人も嫌い
楽しそうな人が好き
苦しそうな人が好き

感じ方のアトリエがあるのなら私は好きだなあ
全部形にしたらいいのに

私が私の好きな人になるというよりも、
私が好きなことをしよう。 

 

 

 

 
寝たら忘れる事は全部どうでも良い事なのかな。
言われた時に思い出せない事は全てどうでも良い事なのかな。

だとしたら覚えている事は私にとって大切な事なのかな。
だったらくだらない事全部忘れたいよ。

忘れられない事は私にとって戒めなのかな。
忘れたい。そしたら楽なのに。

今聴いている曲がどこかノスタルジを感じる。
なんでだろう。 

 

 

 

 
まどつき

適当にらくがきなどを載せつつ、日記でも書いていこうと思う。
ゆめにっきから窓付きです。
絵に対して感想をいただくとき(ありがたい)色が~とよく言われますが、
白黒での表現も好きです。
もしも私のアイデンティティが色彩だとしたなら、
そう仰ってくれた方の目には白と黒だとどう写るのだろう。
それは、私の絵ではなくなるのでしょうか。
それとはまた、違うか。
自分では色彩もなんかよくわからんので
色がついていようがいなかろうが一緒に見えてしまう。
味噌汁論法ですね。その人の創った味噌汁であるということです。


そういえば友人にやってもらった占いで、
「人が悩まないところで悩む」といわれ
いやまさに。実際の自分との正解率は50%でしたが、そこは本当。
人からすればどうでも良いことで悩みこんでしまうのですね。
10行程考え事をしましたが恥ずかしいので消します。

何をもってして成功というのだろう。


私はごみは捨てたくないです。
ごみじゃなきゃ意味がないんです。
取捨選択するものじゃなくて
全部大切なんです。
自分がかわいすぎるのか?
それでもごみじゃなきゃ意味がない。
整えたものじゃ意味がない。
それはまるで言葉にした読書感想文です。
そうじゃない。
感想文の感想のその一歩前を大切にしたい。

でもだめだこのままではあまりにだめだ。
でもそれじゃなきゃ意味がないから
考えろ考えろ何かあるはず



名言スレみたいなのを見ていたら
「男性は知っていることを話し、女性は人を喜ばせることを話す」
ですって。
なるほど。全ての男性や女性がそうだとは思いませんし
それがどっちでもいいのですが、人間性の問題として
なるほど後者の方がいいな。 

 

 

 

 
絵について考える。
私の描きたいもの。

感情だ
それ意外の何でもない。

作品集みたいなコンセプトがあろうが
なかろうが。

私は感情が描きたい。


伝わらなくても、いいかもしれない。
何の為に描いてるかってやっぱり私は私の為だ。
人に何かいいたかったりではないのかもしれない。
私は私の表現がしたいだけだ。
他は何もいらない。

そうだ表現だ。
私はひたすらに自己表現をしてきたんだ。
いつ考えても何が描きたいか考えたら
ここに行き着く。

そうだ。そうだ。

意見や主張を絵でしたいんじゃない!!
何かを変えたいだけじゃない
静かに息をさせてほしい。

必要とか必要じゃないとか引っ掛かってた。
必要も不必要もない。
自身を描く!殺したくない! 

 

 

 

 
黄色について。
【定義】「黄色は明るく明瞭な色彩である。」


【仮定1】「黄色は元気なイメージだ(黄色→元気)」について。
【仮定1】に「何故」を入れてみる


黄色→何故→元気


【仮定2】「明るく明瞭な色彩は元気なイメージを与える」
【仮定2】を代入。

黄色→明るくて明瞭であるから→元気である。


言いたかったことはここからで、これまでのことはあんまり意味がないです。


黄色→明るくて明瞭であるから→何故→元気である。



これについて、考えていました。
このふたつめの何故について。きっと明確な答えはありません。
暇つぶしです。ぶっ飛んでても気にしず、妄想してみました。


【1】日常生活からのイメージの黄色は元気なイメージであるという刷り込み。
【2】遺伝子への刷り込み。
【3】重さへ変換している。


一応挙げましたが【1】はなんだか違うと私は思っています。


ちょっと違う仮定ですが色を感じる推状体の存在が仮定されていますね。
明度は杆状体ですね。
例えば明度が高いと大きく震える機関があると仮定して
脳は興奮を感じて「黄色は元気なイメージだ」となる、とか。


科学的に証明されているのかは調べてないです。
興味はありますが、それより勝手に考えちゃって
創作活動の足しにした方が、抽象的に世界を描ける気がする。
私は、抽象的なものが好きです。なぜかは、また今度考えよう。 

 

 

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